好奇心で綴る歴史と人物──ときめきは、時代を超えて。
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リシュリュー枢機卿と美青年衛兵たちの愛憎を読み解く

リシュリュー枢機卿って聞いて、どんなイメージが浮かびますか?

冷酷な政治家?悪役の代名詞?──いいえ、それだけじゃないんです!!

 

実は彼、若き美貌と孤高さを兼ね備えた「耽美の象徴」で、しかも彼のそばには美青年の衛兵たちが…!

 

本記事では、史実と文献をもとに、少しだけ妄想を交えながら、美と権力、そして“主従の愛憎劇”を語っていきます。

 

「こんな関係性、好きすぎる…!」と沼に沈む覚悟、できてますか?

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リシュリュー枢機卿ってどんな人?

赤い法衣をまとい、冷たい瞳で全てを見透かすような男──リシュリュー枢機卿

その名を聞いただけで「三銃士の悪役!」というイメージが浮かぶ方も多いかもしれません。

 

 

林檎の園
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でも、ちょっと待ってください。

彼、実在したんです。そして史実の彼が想像以上にすごい&推せるんです…!!

 

 

1585年、フランスの名門貴族に生まれたアルマン・ジャン・デュ・プレシー。

病弱な体で軍人の夢を断たれた彼は、なんと19歳で司教に!

なんと19歳で司教に!

その後の出世も超速で、ルイ13世の側近としてフランスの政治を牛耳るまでになったのです。

 

そしてそのやり口が…冷静沈着で、ちょっとえげつない。

敵は容赦なく排除、王の威光を守るためには貴族だろうが宗教勢力だろうが一掃。

まさに「フランスを陰から支配した天才参謀」そのものでした。

 

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でもね、ここからが本題です。

 

そんな鉄面皮な彼のまわりには、美しい青年衛兵たちが常に控えていたっていうじゃないですか!!

しかも、ただの護衛じゃない。彼の権威を象徴する“装飾”としても扱われていたとか…。

つまり、美青年を従える絶対権力者(中性的悪役系)という構図が、史実で成立してる…尊すぎでは??

 

しかも彼、芸術にも造詣が深くてオペラ座の設立まで手がけてるんです。

冷酷で、孤独で、でもどこか美に取り憑かれた男。

その傍らに仕える“選ばれし美青年たち”……。

 

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これはもう、主従美学の完成形ではないでしょうか。

 

創作の中でリシュリューが「悪役」として描かれるのも納得ですが、史実の彼の方がよっぽどドラマチックで、ときめく材料しかないって気づいた瞬間、沼に落ちました。

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枢機卿に仕えた“近衛兵”たちの美しき存在

リシュリュー枢機卿のそばに仕えていたのは、ただの護衛兵ではありません。

彼らは「枢機卿の衛兵(Gardes du Cardinal)」と呼ばれる、選ばれし存在──美しさ・忠誠・教養・武術のすべてを備えた“理想の青年像”だったのです。

 

まず、この近衛兵たちは単なる装飾ではありませんでした。

彼らの役割は幅広く、リシュリュー個人の警護だけでなく、機密文書の護送や密命の伝達、時には諜報活動までも担っていたとされます。

そんな重要な任務をこなすには、当然ながら高い知性と判断力、そして何よりも絶対の忠誠心が求められました。

 

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しかも──彼らには見目麗しさまで必要とされたというのだから、もうこれは乙女ゲームの採用試験ですか!?と言いたくなります。

 

というのも、当時のフランス宮廷において、“美しさは権力の一部”という価値観が根づいていたのです。

上位者は自らの権威を誇示するために、美しく整えた衣装や宝飾品だけでなく、美貌の従者たちを従わせることが礼儀作法のように求められていました。

それはまるで、“美しいものに囲まれている=余裕がある=強者である”という無言のアピール。

 

そして、リシュリューはその演出を誰よりも巧みに使いこなした人物でもありました。

彼は常に赤い法衣を完璧に着こなし、背後には整列する美青年たち──まさに「一幅の絵画」のような光景が、訪れる外交使節や宮廷の目に焼き付いたことでしょう。

 

ここで、歴史オタク女子の妄想が爆発するわけです。

「美しく、忠実で、知性を秘めた青年が、枢機卿の命を受け、静かに立つ。」

その表情は、どこか感情を押し殺しつつも、主の声にただ耳を傾けている。

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──それだけで尊い。

でも、もう一歩踏み込むと…心の奥でこんな声が聞こえてくる。

 

「その眼差し、ただの忠誠心じゃないよね?」

 

そう、この主従関係には、時に“愛にも似た感情”が宿っていたかもしれない

長く共に過ごすうちに芽生える信頼。

誰よりも近くで主を支え、ときに主の孤独を埋める存在となった青年。

命を賭して守るその姿に、枢機卿がふと見せた微笑み──それが心に火を灯してしまったのだとしたら。

 

それは“恋”ではないかもしれない。

けれど、“忠誠”だけとも言いきれない。

その狭間にある、あいまいな関係性こそが私たちを惹きつけてやまないのです。

 

たとえば、深夜。

政務を終えたリシュリューが静かに書斎に戻ると、そこに控えていたのは、沈黙のまま灯りを灯す若き衛兵。

彼の仕草は洗練され、けれどどこかぎこちない。

──そんな彼を見つめる枢機卿のまなざしは、冷たくも優しく、どこか満ち足りているようにも見える。

 

 

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……はぁ。

これ、アニメ化まだですか?

 

 

けれど――リシュリュー枢機卿という存在が、現代まで“悪役でありながらも魅力的”なキャラクターとして語り継がれているのは、偶然ではありません。

それは、彼がただの政治家ではなく、フィクションの中でも人々を惹きつける“物語性”をまとっていたからなのです。

次は、小説『三銃士』の中に描かれた彼の姿を覗いてみましょう。

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『三銃士』に描かれた“悪役リシュリュー”とその美学

彼の名が世界的に有名になったきっかけ──それは、アレクサンドル・デュマによる小説『三銃士』。

この作品でリシュリュー枢機卿は、「陰謀家」「策士」「冷酷な支配者」として、まさに悪役の代名詞として登場します。

 

若きダルタニャンと三銃士たちの正義に立ちはだかる存在。

王妃とフェルセン伯爵の恋を暴こうと企て、貴族たちを操り、暗躍し、手段を選ばず目的を達成しようとする姿は、

当時の読者にとっても、現代の私たちにとっても、まさに“絵に描いたようなカリスマ悪役”です。

 

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でも──それが、たまらなくカッコいいんですよね。

 

冷静な頭脳、圧倒的なカリスマ、どこか哀しげな孤高。

そして、すべてを見通すような瞳で、「どうせ人間なんて、こういうものだろう」とでも言いたげな皮肉めいた台詞…。

こうした描写の数々が、史実のリシュリューを超えて、“キャラ”としてのリシュリューを創り上げているのです。

 

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そして注目すべきは、その“悪役性”の描き方がどこか耽美的であること。

 

デュマの描くリシュリューは、恐ろしい存在でありながら、妙に美しいのです。

洗練された言葉遣い。沈黙の中に漂う威厳。

そして、黒と赤を基調とした衣装を纏い、鋭い目で人々を見つめるその姿──

それはもう、私たちの大好物「中性的悪役美形」のテンプレートじゃないですか。

 

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特に、リシュリューと銃士隊の一人アラミスとの対比構造にはゾクゾクします。

 

アラミスは聖職者でありながら、男たちの間で“美しさ”と“謎”をまとい、どこか憂いを帯びた存在。

彼がリシュリューの目にどう映っていたのか──明言されることはありませんが、

私はそこに、「同じ場所から見ていたはずの者同士」の静かな対立、そして淡い共鳴を感じてしまうのです。

 

実際、『三銃士』におけるリシュリューは、単なる“打ち倒すべき悪”として描かれているわけではありません。

彼は理想主義の若者たちを手玉に取りながらも、最終的には寛大さを見せる場面もあり、

「本当に恐ろしいのは、こういう知性のある大人なのかもしれない」

…と、読者に深い余韻を残します。

 

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そしてここで、創作と史実が重なるのです。

 

史実のリシュリューも、決して悪人ではありませんでした。

彼はフランスという国の未来のために戦い、内乱や分裂を防ぎ、芸術を育てた男。

けれどその冷静すぎる行動と、感情を見せない振る舞いが、いつしか“冷酷な支配者”というイメージに繋がっていったのかもしれません。

 

つまり──「悪役に見える美形枢機卿」=創作が生んだ産物ではなく、史実の余白がそのまま“キャラ化”された結果とも言えるのです。

 

だから私たちは、彼に惹かれてしまう。

 

 

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「怖いのに、綺麗で、孤独で、何かを抱えてる」。

そんなキャラを好きになってしまうのは、オタク女子の性(さが)じゃないですか……!

 

 

次は、そんな“主従”の美学と“愛憎”の狭間に、さらに一歩踏み込んでいきます。

「忠誠か、愛か?」──答えの出ない問いに、私たちはどこまで近づけるのでしょうか。

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主従という名の愛憎劇:枢機卿と衛兵の深層

主と従者──

それって、ただの上下関係じゃないんです。むしろ、一歩間違えば感情の沼!!です。

 

 

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命令を出す者と、それに従う者。

でも、近くにいるからこそ生まれてしまう「それだけじゃない感情」って、あるじゃないですか…?

 

 

リシュリュー枢機卿と、彼に仕えていた青年衛兵たち。

もう、絶対に何かあった(※妄想です)。

彼らの関係は、ただの忠誠心では説明がつかない何かがあったと思うんです。

 

だって、あの青年たち、ただの「美男子従者」じゃないんですよ!?

戦う力、知性、礼儀、気配り、忠誠心…全てを備えた“理想の騎士”!

しかもその主がリシュリューとか、ご褒美すぎる布陣じゃないですか??

 

妄想させてください。お願いだから。

 

──喧騒の宮廷、リシュリューが静かに執務室に戻ると、そこに控えている一人の青年。

音もなく立ち、沈黙のまま扉を開く。

けれどその仕草すべてに、

「枢機卿様、お疲れでしょう…でも僕は何も言いません。黙って傍にいます」

っていう繊細すぎるメッセージが詰まってる感じしませんか??(しませんか??私はします!!!)

 

でもね、口に出しちゃいけないんです。

だってそれは、“主従”という名の鎖でつながれた関係だから。

それを超えてしまったら、すべてが壊れてしまう。

 

だから、視線だけで語るんです。

沈黙のままに、誰よりも深く通じ合う。

「それ以上言うな。わかってる」みたいな主の目線に、そっと頷く衛兵。

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──もうそれ、愛じゃん。(言っちゃった)

 

私たち、そういうのに弱すぎるんですよね。

「踏み越えない関係性」に萌えるって、なんかもう性(さが)じゃないですか。

 

しかも、リシュリューって誰よりも孤独だったと思うんです。

誰も信じられない世界で、ずっと一人で戦ってきた。

そんな人が、たった一人だけでも「そばにいてくれていい」と思えた相手がいたとしたら──

その尊さ、計り知れない。

 

衛兵たちは、そんな孤高の存在の“影”に仕えながら、

いつしかその影に自分の心まで飲まれていったんじゃないかって思うんです。

 

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ほらもう、ドラマじゃないですか。尊い以外の語彙が見当たらない。

 

そして私たちオタク女子は、史実の空白が大好き。

名前も記録も残っていない、その“余白”にこそ、妄想を挿し込む場所があるって知ってるんです。

 

「忠誠」と「恋」は違う。
でも、どちらも“誰かのために、自分を差し出す”って意味では、すごく似てるんですよ。

 

踏み込めない、でもそばにいたい。

触れられない、でも守りたい。

この名もなき感情こそが、「主従」という形に託された、私たちの“沼”なんです。

 

そして結局……

そんな矛盾した感情に揺れてる姿こそが、最高に美しくて、最高に萌える。

だから今日も私は、彼らの主従を妄想してしまうのです。尊さに泣きながら(笑)

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枢機卿という名の孤高:なぜ私たちは彼に惹かれるのか

……どうして私たち、こんなにもリシュリュー枢機卿に惹かれてしまうんでしょう?

 

最初はただの「悪役」だったはずなのに。

三銃士たちの邪魔をする策士で、冷酷で、権力にどっぷり浸かってて──

なのに、気づけば目で追ってるのは、いつも彼のほう。

 

は??? ってなるんです。

なんでこの人、こんなに美しく見えるの?って。

 

完璧じゃない。

でもそこが良い。

強くて賢いのに、どこか脆そうで、孤独そうで、絶対に人には見せない弱さを背中にしょってる……

そんなの、オタク女子が沼に落ちるテンプレじゃないですか!!

 

だって見てくださいよ、あの振り返らない姿。

誰よりも未来を見据えて、誰にも頼らずに道を切り開いていくあの孤高さ。

王の影で国家を動かしながら、誰にも心を許さず、ただ美しく静かに立っている。

 

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……うん、もう好き(即落ち2コマ)。

 

そしてその彼のそばに仕えていた美青年衛兵たち。

彼らだけが知っていた表情があったのかもしれないって思った瞬間、

妄想は宇宙を越えるんです。

 

主に心を捧げた従者。

でもその心の奥には、忠誠だけじゃない、もっと違うものが芽生えていたのでは?

言葉にはできない、でも確かにあった感情。

それが、ふとした視線や手の動きににじんでいたのでは?

 

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ねぇ、それ、もう「愛」じゃん……。

 

しかもそれが報われることはない。

でもいいんです。

報われなくても、想ってるだけでいいって、そういう愛があるって、リシュリューと彼の衛兵たちが教えてくれるんです。

 

そして思うんですよね。

私たちがリシュリューに惹かれる理由って、「救いたい」気持ちと「抗えない魅力」が同居してるからなんだって。

 

救いたい。でも届かない。

愛したい。でも踏み込めない。

なのに惹かれてしまう。好きにならずにいられない。

 

そして、もし彼が一瞬だけ心を許したなら──

その瞬間を見たくて、私たちは彼の物語を何度でも追ってしまうんです。

 

歴史は、語ってくれません。

でも、語られていないからこそ、私たちはその余白に「もしも」を描ける。

それが歴史という舞台に立つ“キャラクター”の、最大の魅力じゃないでしょうか。

 

枢機卿という名前の孤高。

それは、強さと美しさと、どうしようもない孤独をすべて背負った存在。

誰にも寄りかからず、ただ静かに進むその姿に──

私たちは、抗えずに恋をしてしまうのです。

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