
「王族に生まれたら、贅沢で幸せな人生が約束される」……なんて考えていませんか?
15世紀のイングランドでは、それは大きな間違いでした。
むしろ、王族に生まれたことで「絶対に逃れられない運命」に囚われてしまうこともあったのです。
そんな“逃れられない運命”に翻弄されたのが、ランカスター家最後の王、ヘンリー6世とその息子エドワード王子。
彼らは「薔薇戦争」と呼ばれる王位継承争いの渦に飲み込まれ、最も悲劇的な王族として歴史に名を刻むことになります。
まず、ばら戦争の概要をおさらいしましょう。
1.「薔薇戦争」とは?ランカスター家の運命とは?
「薔薇戦争」は、ランカスター家(赤薔薇)とヨーク家(白薔薇)が王座を巡って戦った内戦のこと。
ヘンリー6世が統治していたランカスター朝は、もともとイングランド王家の本流ではなく、「王位を継ぐ資格は本当にあったのか?」という疑問がつきまとっていました。
- ヘンリー6世の祖父、ヘンリー4世はクーデターで王位を奪取! ⚔️
- ヨーク家は、血筋的により“正統”な王位継承権を持っていた!? 🤔
- しかも、ヘンリー6世は「戦争に向かない王」だった……! 😨
こうして、ヨーク家は「本来の王位は自分たちにある!」と主張し、国内は赤薔薇VS白薔薇の対立に……!
その渦中にいたのが、争いを望まない平和主義者のヘンリー6世と、戦乱の時代に生まれた王子エドワードだったのです。
👑 ヘンリー6世と王子エドワード何はを背負い、どのような運命をたどったのか?
- 「争いを好まない王」は、なぜ戦乱の中心に立たされたのか?
- ランカスター家の希望だったエドワード王子は、なぜ最期を戦場で迎えたのか?
- 二人の死は、薔薇戦争の流れをどう変えたのか?
この親子の悲劇的な人生を、歴史の流れとともに追いかけていきましょう。
次は、「ヘンリー6世の幼少期と即位」について見ていきます!
運命の歯車が回り始めた瞬間に迫ります……!
2. ヘンリー6世:幼少期から即位まで
「生まれながらの王」——それは、誰もが羨む立場に思えるかもしれません。
ですが、もし生後9か月で王位を継いだとしたら……?
まだ話すこともできず、剣どころかスプーンすらまともに握れない赤ちゃんが、イングランド全土の支配者になったら……?
ヘンリー6世の人生は、まさに“王族ガチャ”の極端な当たりとハズレの狭間にあったのです。
👶 王位を継いだ赤ちゃん、ヘンリー6世
1421年12月6日、ロンドンのウィンザー城で誕生したヘンリー6世。
父は「百年戦争の英雄」ヘンリー5世、母はフランス王女キャサリン・オブ・ヴァロワ。
そう、彼はまさに「王族エリート」の血統を持つ男でした。
しかし、運命の悪戯は、彼が生まれてすぐに訪れます。
なんと、彼の父・ヘンリー5世が、彼の誕生からわずか9か月後に急死! ⚡💀
この時点で、まだハイハイすらできるかどうかの赤ちゃんが、イングランドとフランス両国の王となることになってしまったのです……。
👑 摂政たちに守られた「操り人形の幼少期」
当然ながら、9か月の赤ちゃんに政治ができるわけがありません。
そこで、イングランドでは叔父のベッドフォード公ジョンとグロスター公ハンフリーが摂政として政治を執り行うことに。
特に、フランスで戦争を続けたベッドフォード公は、幼い王の名のもとに軍を指揮し、ヘンリー6世が本当に「フランス王」になれるよう奮闘しました。
一方、母のキャサリン王妃は、幼いヘンリー6世を慈しみながらも、宮廷の政治闘争から距離を置いていました。
そのため、ヘンリー6世は母の手ではなく、側近や廷臣たちの手によって育てられることになります。
母キャサリンはその後、再婚し庶子(ヘンリー6世の異父弟)をもうけるのですが、これが後にヘンリー6世の政権に思わぬ影響を与えることに……
(この話はまた後ほど!)
🤴 16歳で「本物の王」へ!でも……
1442年、16歳になったヘンリー6世は正式に成人し、自ら統治を行うことに。
しかし、ここで問題が発生します。
彼の父・ヘンリー5世は「戦場で勝つことで王権を示す英雄タイプ」でしたが、ヘンリー6世はその正反対の「争いを嫌い、祈るような平和主義者タイプ」。
- 剣を振るうより、教会で祈る方が好き! ✝️
- 争いごとを避け、すぐに譲歩する傾向があった! 😔
- 政治の決断が苦手で、家臣たちに操られがち! 🤯
結果、彼の即位はイングランド王政の転換点となりました。
戦場で国を動かしたヘンリー5世とは違い、優しすぎる性格が災いし、政治は混乱を極めていきます……。
次第に宮廷では派閥争いが激化し、国全体が不安定になっていく中、ついにヘンリー6世の治世に影を落とす「薔薇戦争」が勃発することになるのです……!🔥⚔️
次は、いよいよ「ヘンリー6世の治世と薔薇戦争の勃発」に迫ります!
平和を望む王が、なぜ血みどろの戦争の中心に立たされることになったのか?
その悲劇の軌跡を追いかけましょう……!
3. ヘンリー6世の治世と薔薇戦争の勃発
王冠をかぶったその瞬間から、「ヘンリー6世の試練」は始まっていました。
彼の治世はまるで、王国という名のジェンガを積み上げるようなもの。
一見、秩序は保たれているように見えても、一つのピースが崩れれば、一気に瓦解してしまう……。
そして、それが実際に起こったのが、「薔薇戦争」の勃発でした。🔥
⚔️ ヘンリー6世の政治は、優しすぎた……?
「平和を愛する王」と言えば、響きは美しいですが、15世紀のイングランドでは、それは「王としての弱さ」と見なされました。
ヘンリー6世は争いを嫌い、誰に対しても寛容であろうとしました。
しかし、その優しさが仇となり、政治は次第に混乱していきます。
- フランスとの戦争に敗北し、百年戦争が終結!→ 国民の不満が爆発 💥
- 貴族たちが派閥を作り、宮廷が大荒れ! 🤯
- ついには「王の無能さ」が問題視され、王位を巡る争いが激化! 👑⚡
そして、この混乱に目をつけたのが、ヨーク公リチャードでした。
「この国を救えるのは俺しかいない!」と名乗りを上げ、王位奪取を目指し始めます。
🌹 赤薔薇 vs 白薔薇の宿命の対決、始まる!
ヨーク公リチャードが支持を集めた理由は、ただの「実力主義」ではありませんでした。
なんと彼は、ヘンリー6世よりも王位継承権が正統とされる血統を持っていたのです! 😨
- 「血筋」で王を決めるべき!→ ヨーク家
- 「実力とカリスマ」で王を決めるべき!→ ランカスター家(ヘンリー6世)
こうして、王座を巡る「薔薇戦争」が本格的に勃発!🔥
国中が、赤い薔薇(ランカスター家)と白い薔薇(ヨーク家)に分かれ、激しい戦争へと突入していきます。
そして、この戦いに巻き込まれることになるのが、ヘンリー6世の最愛の息子、エドワード王子でした……。
次は、「エドワード王子:生涯と戦場での運命」に迫ります!
父の理想と国の現実の狭間で、若き王子は何を見たのか?
彼の運命は、薔薇戦争の行方を変えたのか?
その真実を追いかけましょう……!
4. エドワード王子:生涯と戦場での運命
「王子」と聞くと、どんなイメージが浮かびますか?
華やかな宮廷に生まれ、優雅に育ち、いずれは王座に就く……そんな理想的な人生を想像するかもしれません。
しかし、エドワード王子(ウェストミンスター公エドワード)の生涯は、まるで「戦乱の中で生きる宿命を背負わされた主人公」そのもの。
彼は王子として生まれながら、宮廷での平穏な日々をほとんど経験することなく、血で血を洗う薔薇戦争の最前線に立つ運命を背負わされました。

そして、エドワード王子の人生は、たった17年という短さで幕を閉じることになります……。
🌹 ランカスター家の希望として誕生
1453年10月13日、エドワード王子はロンドンで誕生。父はイングランド王ヘンリー6世、母は王妃マーガレット・オブ・アンジュー。
実はこの年、父ヘンリー6世は突如として精神錯乱の発作を起こし、完全に意識を失ってしまうという異常事態が発生していました。
- つまり、生まれた瞬間から王子は「父が政務を執れない状態」の中にいた! 😨
- 実権を握ったのは、母のマーガレット王妃! 👑
- 王位継承者として、エドワード王子は政治の駒にされる運命だった……!
本来なら、父ヘンリー6世がエドワード王子を導き、王としての資質を育てるはずでした。
しかし、ヘンリー6世は精神的に不安定で、ほとんど王としての役割を果たせなかったのです。
そのため、エドワード王子の教育や政治的な決断の多くは、母マーガレット王妃が担うことになりました。
⚔️ エドワード王子、戦場に立つ!
エドワード王子が成長するにつれ、薔薇戦争はさらに激化。
もはや、宮廷の陰謀や外交交渉だけでは済まされない状況となり、彼は実際に戦場で戦う運命をたどることになりました。
- 「王子」という立場でありながら、自ら剣を握り、戦場へ! ⚔️🔥
- マーガレット王妃と共に、フランスやスコットランドの支援を求め奔走! 🤝
- 王位を守るため、父に代わって最前線に立つ!

エドワード王子は、薔薇戦争の決定的な戦いの一つである1471年のティュークスベリーの戦いに参戦。この時、彼はまだ17歳。
普通ならば、宮廷で華々しい成人を迎える年齢ですが、彼に与えられたのは、血と泥にまみれた戦場でした。
💀 ティュークスベリーの悲劇
1471年5月4日、ティュークスベリーの戦場で、エドワード王子の運命は決まります。
ランカスター軍は、ヨーク軍のエドワード4世(エドワード王子にとっては宿敵)の部隊と激突。
しかし、戦況は絶望的でした……。
- ヨーク軍の奇襲を受け、ランカスター軍は総崩れ! 😱
- エドワード王子も捕えられ、絶望の中で敵の前に引き出される……!
ここから先の王子の最期については、複数の説があります。
- 処刑説 🩸
捕虜となったエドワード王子は、エドワード4世の命令により、その場で処刑されたという説。 - 戦場で戦死説 ⚔️
彼は最後まで剣を捨てず、戦場で討ち取られたという説。 - 王族による私刑説 😨
彼はエドワード4世の前に引き出され、「王位を主張するのか?」と問い詰められた。
「私は王位を受け継ぐ者だ!」と叫んだ彼に対し、怒りに燃えたヨーク派の貴族たちが私刑を加えた、という説も……。
どの説が真実かは分かりませんが、エドワード王子は若干17歳で、この世を去ったということです。

彼の死は、ランカスター家の希望を絶つ出来事となりました。
そして、そのわずか数週間後、父ヘンリー6世もロンドン塔で命を落とし、ランカスター朝は事実上崩壊することに……。
次は、「父子の絆と悲劇的な結末」に迫ります!
ヘンリー6世とエドワード王子——運命に翻弄された王と王子は、歴史に何を残したのか?
その最後を見届けましょう……!
5. 父子の絆と悲劇的な結末
王族として生まれ、王として生き、そして悲劇的に散っていった父と子。
ヘンリー6世とエドワード王子の運命は、まるで決められたシナリオのように薔薇戦争の中で交錯し、
ランカスター家の終焉を迎えることとなりました。
しかし、この2人は決して冷たい親子関係ではありませんでした。
ヘンリー6世にとってエドワード王子は唯一の希望であり、エドワード王子にとってヘンリー6世は守るべき王だったのです。
では、2人が最後に辿った道とは、一体どのようなものだったのでしょうか……?
🌹 ヘンリー6世とエドワード王子、交わることのなかった最期
1471年、ティュークスベリーの戦いでエドワード王子が戦死または処刑された時、父であるヘンリー6世はロンドン塔に幽閉されていました。
- 父は息子の死を知らないまま、塔の中で孤独な日々を送る……。
- 希望だったエドワード王子を失ったことで、王座復帰の可能性も消滅……。
そして、そのわずか数週間後、ヘンリー6世もまた、ロンドン塔で亡くなることになります。
しかし、その死には不審な点が多く、以下のような説が語られています。
💀 ヘンリー6世の「謎の死」、その真相は?
ヘンリー6世の死因については、歴史上さまざまな議論があり、以下の3つの説が有力です。
- 暗殺説 🗡
ヘンリー6世はロンドン塔に幽閉されていたが、エドワード4世の命令で密かに暗殺されたという説。
刺殺や毒殺など、方法については諸説あるが、ランカスター家の完全な排除を目的とした可能性が高い。 - 衰弱死説 🏰
もともと精神的に不安定だったヘンリー6世は、長い幽閉生活と息子の死の報を聞き、
絶望のあまり衰弱死したとも言われている。 - 自然死説 ⚰
監禁状態が長く続いたことで、健康を害し、寿命を迎えたという説もある。
しかし、当時の記録では「暗殺された」とする証言が多く、現代の歴史学者の多くは「エドワード4世による謀殺」を支持しています。

これにより、ヘンリー6世とエドワード王子、ランカスター家の正統な血筋はここで途絶えることになりました……。
🏰 2人の死が歴史に与えた影響
ヘンリー6世とエドワード王子の死は、薔薇戦争の流れを大きく変えることになります。
- ランカスター家の正統な後継者がいなくなり、ヨーク家のエドワード4世が絶対的な支配者に! 👑
- しかし、この戦争はまだ終わらない……。後に「リチャード3世」と「ヘンリー7世」の対立へと続く!
彼らの死は、薔薇戦争の一つの終焉を意味しましたが、実はそれが新たな戦乱の序章となったことは、また別の物語……。
以下参考資料:
プランタジネット朝 ├── エドワード3世 │ ├── ランカスター家(赤薔薇) │ │ ├── ジョン・オブ・ゴーント(ランカスター公) │ │ │ ├── ヘンリー4世 │ │ │ │ ├── ヘンリー5世 │ │ │ │ │ ├── ヘンリー6世(薔薇戦争期の王) │ │ │ │ │ │ ├── エドワード王子(ウェストミンスター公、戦死) │ ├── ヨーク家(白薔薇) │ │ ├── エドマンド・オブ・ラングリー(ヨーク公) │ │ │ ├── リチャード・プランタジネット(ヨーク公) │ │ │ │ ├── エドワード4世(ヨーク朝の創始者) │ │ │ │ │ ├── エドワード5世(ロンドン塔の王子) │ │ │ │ │ ├── エリザベス・オブ・ヨーク(ヘンリー7世の王妃) │ │ │ │ ├── リチャード3世(最後のヨーク王、ボズワースで戦死) │ ├── チューダー朝 │ │ ├── ヘンリー7世(ヘンリー・チューダー) │ │ │ ├── ヘンリー8世(エリザベス1世の父)
世代 | 名前 | 生年 | 没年 | 関係 |
プランタジネット朝 | エドワード3世 | 1312 | 1377 | プランタジネット朝の国王 |
プランタジネット朝 | エドワード黒太子 | 1330 | 1376 | エドワード3世の息子 |
プランタジネット朝 | リチャード2世 | 1367 | 1400 | プランタジネット朝最後の国王 |
ランカスター家 | ジョン・オブ・ゴーント | 1340 | 1399 | エドワード3世の息子・ランカスター家の祖 |
ランカスター家 | ヘンリー4世 | 1367 | 1413 | ランカスター朝初代国王 |
ランカスター家 | ヘンリー5世 | 1386 | 1422 | 百年戦争の英雄 |
ランカスター家 | ヘンリー6世 | 1421 | 1471 | 薔薇戦争時のランカスター王 |
ヨーク家 | エドマンド・オブ・ラングリー | 1341 | 1402 | エドワード3世の息子・ヨーク家の祖 |
ヨーク家 | リチャード・プランタジネット(ヨーク公) | 1411 | 1460 | ヨーク家の当主 |
ヨーク家 | エドワード4世 | 1442 | 1483 | ヨーク朝初代国王 |
ヨーク家 | リチャード3世 | 1452 | 1485 | 最後のヨーク王・ボズワースで敗北 |
チューダー朝 | ヘンリー7世(ヘンリー・チューダー) | 1457 | 1509 | チューダー朝初代国王 |
チューダー朝 | ヘンリー8世 | 1491 | 1547 | エリザベス1世の父・チューダー朝最盛期 |