
石膏像のジュリアーノ・メディチに惹かれたあなたへ!!
美術室に並ぶ石膏像の中でも、その彫りの深い顔立ちと堂々たる姿で目を引く「ジュリアーノ・メディチ」。
一目見ただけで、「この人、実際にこんなイケメンだったの?」と興味を抱いた方も多いのではないでしょうか?
ジュリアーノ・デ・メディチはルネサンス期に活躍したメディチ家の一員であり、その容姿や人格、そして短くも劇的な人生が多くの芸術家たちにインスピレーションを与えました。

今回は、ジュリアーノ・メディチの「実像」に迫りながら、石膏像や彫刻に隠された彼の「理想の美」についても解説します。
ジュリアーノ・デ・メディチの生涯
ジュリアーノ・デ・メディチ(1453年~1478年)は、イタリアのフィレンツェを支配したメディチ家の次男坊。
兄のロレンツォ・デ・メディチは「偉大なるロレンツォ」と呼ばれるほど有名な人物です。
そのジュリアーノも、兄とともにフィレンツェの街で活躍し、誰からも愛される存在でした。

でも、ジュリアーノの人生はわずか25年という短さ…。
それは、政敵による暗殺という衝撃的な結末で幕を閉じました。
それでも、彼が生きたその時間はとても濃密で、まさに「フィレンツェの宝石」と呼ばれるにふさわしいものでした。
彼はスポーツや文化活動に長けていて、詩や音楽の才能も抜群。
さらに、馬術や剣術といったフィレンツェ市民に人気のあるスポーツにも積極的に参加していました。
そんな姿が、「市民に寄り添う貴族」として多くの人に愛される理由だったのでしょう。
美貌と親しみやすさ
「黄金色の巻き毛に、整った顔立ち、そして優雅な佇まい」——歴史の記録では、ジュリアーノはこんな風に描かれています。
さらに、見た目だけじゃなく、気さくで優しい性格も彼の魅力のひとつ。まさに「完璧すぎる」と言いたくなるような美青年でした。
「イル・ベッロ=美しきもの」と呼ばれるほどの長身の美男子だったジュリアーノ・デ・メディチ
引用元:wikipedia
特に女性たちの間では大人気!その魅力は、詩人たちが競って彼を称賛する詩を残していることからもよくわかります。
例えば、ルイージ・プルチやポリツィアーノといった当時の文化人が、ジュリアーノの美しさや人柄を詩にしたためています。
彼の優しい微笑みや人懐っこさが、どれだけ多くの人の心を掴んだか想像できますよね。
ジュリアーノ・メディチは本当にこんなにイケメンだったの?

「ジュリアーノ・デ・メディチって、石膏像や肖像画みたいに本当にイケメンだったの?」って思う方、多いですよね。
歴史的な記録を振り返ると、実はこの問いに明確な答えを出すのは少し難しいんです。
でも、ここでいくつかの視点から考えてみましょう!
理想を詰め込んだ芸術作品
まず、彼を描いた作品たちについて。ミケランジェロの彫刻やボッティチェッリの肖像画を見ると、「まるでルネサンス版のモデル?」と思うほどの美しい姿。
でも、実際にはこれらの作品はジュリアーノをそのまま忠実に再現したというより、彼を「理想化」して描かれた可能性が高いんです。
例えば、ミケランジェロの胸像は、古代ローマの英雄のような威厳がたっぷり!
これって、ジュリアーノ個人の魅力というより、メディチ家の威光をアピールするためだったかもしれません。
お兄ちゃんとの比較は…?

ジローラモ・マッキエッティ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
ジュリアーノの兄、ロレンツォ・デ・メディチの容姿についての記録には「血色が悪く、鼻がつぶれている」という描写があります。

↑この肖像画だと鼻は高いですけどね。
でも…うーん、ちょっとイケメンとは遠い感じ…。
これが遺伝的なものだとしたら、ジュリアーノも彫刻や絵のような「完璧な顔立ち」ではなかったかもしれません。
当時の人気者だったのは事実!
でも、ジュリアーノが当時の人々から「美しい」と称賛されていたのは確か。
詩人たちは彼の容姿だけでなく、その優雅な雰囲気や気さくで親しみやすい性格を大絶賛!
これって、外見の魅力だけじゃなく、彼の「全体的なオーラ」がイケメン度を底上げしていた証拠かもしれませんね。
結論:イケメン伝説の真相
結局のところ、ジュリアーノが石膏像のような「スーパーモデル級のイケメン」だったかどうかは謎。
でも、彼が持つ内面の魅力や優雅さが、芸術家たちに「この人を理想の美として表現したい!」と思わせたのは間違いありません。
そして私たちが彼の「イケメン伝説」に惹かれるのも、そんな人間的な魅力があってこそなんですよね。
だから、次に美術室でジュリアーノの石膏像を見かけたら、「本当にイケメンだったのかな?」と想像しながら、彼の時代にタイムスリップした気分で楽しんでみてくださいね!
ジュリアーノ・デ・メディチの実像と理想化された姿
ジュリアーノ・デ・メディチの実際の容姿と、芸術作品における表現の違いを深く探求してみましょう。
ジュリアーノ・デ・メディチは、ルネサンス期のフィレンツェを象徴するメディチ家の一員。
彼の名前を聞くと、多くの人はサンドロ・ボッティチェッリやミケランジェロが残した作品を思い浮かべるのではないでしょうか?
ボッティチェッリの描いたジュリアーノ

サンドロ・ボッティチェッリ, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
ボッティチェッリが描いたジュリアーノの肖像画では、長い暗色の巻き毛に際立つ鼻筋、そして穏やかな表情が特徴的です。
背景に深い青色を用いた構図は、彼の高貴な雰囲気をより一層際立たせています。
この横顔の絵を眺めていると、彼の静かな内面の強さが感じられるような気がします。
ただ、この肖像画はジュリアーノの実際の容姿を忠実に再現したものというよりも、フィレンツェの貴族としての品格や、彼が持つ魅力的な内面を表現するための理想的な姿として描かれた可能性が高いです。
ミケランジェロが作り上げた英雄像
一方で、ミケランジェロが制作したジュリアーノ・デ・メディチの彫刻は、さらに大きな理想化のプロセスを経ています。
この彫刻は、フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂「新聖具室」に設置され、鎧をまとった堂々たる姿が印象的です。
まるで古代の英雄のように描かれたこの像ですが、実際のジュリアーノの柔らかい魅力とは異なり、メディチ家の権威や力強さを象徴するために作られた「理想化された姿」だと考えられています。
ジュリアーノの魅力ってどんなところ?
ジュリアーノ・デ・メディチの肖像を見ていると、「この人って実際どんな感じだったんだろう?」って想像が膨らみますよね。
実際の姿と、絵や彫刻に描かれた姿にはちょっとギャップがあるかもしれないけれど、どちらも不思議な魅力に溢れていて目が離せません。
当時の芸術家たちは、ジュリアーノをただそのまま描いたわけじゃなくて、「こんな風に見せたい!」っていう理想を込めていたんです。
それが、あの堂々とした彫刻や優雅な肖像画に現れているんですね。
次にジュリアーノの作品を見たときは、「この人、ほんとにイケメンだったの?」っていう視点だけじゃなくて、時代の雰囲気や人々の想いまでちょっと想像してみると面白いかも!
彼が生きていたルネサンスの時代にタイムスリップした気分で、彼の魅力にどっぷり浸ってみてくださいね。

でも…、やっぱりジュリアーノ・メディチは「イケメン」であってほしいですねwww